関ジャニ∞内私的好きなペア 4 年上&年下ペア 村上&丸山編 村上くんにだけは八つ当たりできる丸ちゃん
その2 ヒナ×まる
通称エイトのおかん、面倒見がよくて世話焼きの村上くんと組んでもらいたい年下組は、丸山くんと大倉くん。
ここはもう、ただひたすらプライベートでの仲の良さ、つきあいの深さで選びました。
まず、丸山くんから。
村上くんと丸山くんはかつて同居していた期間があるのです。それも2回も。
まだ関ジャニ8結成前で関西Jr選抜として大阪松竹座の舞台に出てた頃。
丸ちゃんはまだ十代、ヒナちゃんも二十代になったばかり。
当時の関西Jr選抜とは、今の関ジャニ∞から大倉くんを抜いて、内博貴くんを入れた7人のことです。
この7人中、一番お金がなかったのが丸ちゃんでした。
みんな貧乏してたとはいえ、当時は実家通いのメンバーがほとんどで、実家にいれば家賃もいらないし食費も外食費だけ、あと最低限必要なのは交通費ぐらい。
この交通費が問題でした。
当時のジャニーズJr.には交通費の支給がなかったのです。
当時の関西Jr選抜メンバー、現関ジャニ∞メンバーでも同じですが、大阪府在住じゃないのは丸ちゃんとヤスだけ。
関西の地理に疎い方だとピンと来ないかもしれませんが、尼崎市っていうのは大阪市との隣接区域で大阪駅までわずか2駅、ぶっちゃけ他のメンバーの誰よりも大阪の中心地に近いところに実家があったのがヤスで、当然交通費も格安です。
一方、丸ちゃんの実家のある京都は遠い。
現在の運賃でも新快速の使えるJRだと片道560円もします。他にも、太秦駅から京都駅までの電車代、大阪駅から難波駅までの地下鉄代。
当時の運賃はわからないけど、仕事場がある難波への往復だけで1500円以上だったかと。
公演が始まると1ステージいくらでギャラが出ますが、リハーサルの期間は無給で、毎日お金が減っていくばかり。
みんな貧乏といっても、仕事場に行くのに一々高い交通費のかかる丸ちゃんが一番貧乏でした。
2014年10月7日放送の「幸せ!ボンビーガール」では、当時の丸ちゃんの貧乏っぷりが再現VTRになっていました。
貧乏すぎて食事に回すお金がなく、1日の食事は100円で買えたミニ即席麺5個セットのみ。
朝は普通にお湯を入れてラーメンとして食べ、昼はスナックとしてそのまま食べ、夜は通常5倍のお湯を入れてふやかして超薄味のラーメンスープとして「味変」しながら食べていたという悲しいエピソードでした。
それに加えて、他のメンバーよりもダンスの覚えが悪いことや要領が悪いこと、他のメンバーより人気がないこと、ベースの練習が辛いこと、漫才が辛いこと、自分に特別何ができるのかわからないこと、失敗して怒られてばかりなこと、などなど、もともと悩み多き丸ちゃんは、貧乏とプレッシャーとでいっぱいいっぱいになり、すっかりふさぎ込んでしまったらしいです。
そんな丸ちゃんの教育係というか世話係だったのが村上くん。
ふさぎ込む丸ちゃんを無理やり連れ出して、丸ちゃんに説教する日々。
ある日仕事終わりで丸ちゃんを家に連れて帰り、ダメ出しという名のアドバイスをしていたら、丸ちゃんが突然キレた。
「信ちゃんはな、ええこと言うてくれてるかもしれへんけど、俺は、信ちゃんが10言うてるうちの1しかわからへんねん!」
これを聞いて心底驚いた村上くんは、自分がいかに自分の尺度だけでモノを考えていたのかと愕然とし、グループとしての尺度で考えなきゃいけないと反省したと、後に語っています。
最初の同居生活はこの頃だと思われます。
京都からの交通費のせいであまりにもお金がなくて、食べるものさえ満足に買えない丸ちゃんを見かねて、村上くんが当時大阪市内で一人暮らしをしていた自分のマンションに呼んであげたのです。
マンションといっても、7畳のワンルーム。
当時の村上くんだってお金があったわけではないのです。
ただ、村上くんはかつては黄金期の人気Jrの一人でテレビの仕事もたくさんこなしていたし、東京の仕事がなくなって大阪へ帰ってきてからも、ラジオやローカルのテレビのレギュラーが少しはあったので、なんとか一人暮らしはできるぐらいの収入はあったようです。
7畳ワンルームの部屋に呼んで、丸ちゃんにミートソーススパゲティを作ってくれた村上くん。京都から通うのがしんどいならココに住んだらええわと言ってくれた村上くん。
その日から、丸ちゃんは村上くんの部屋に居候することになるのです。
なんて優しい村上くん。
村上くんがエイトのおかんと言われるゆえんの一つがここにあります。
二度目の同居は、関ジャニ∞デビュー後。
デビューしても最初の数年は大阪在住で、東京で仕事のある時だけ新幹線で往復していたメンバーが多いようです。
彼らがいつから東京へ引っ越したのか具体的な時期は不明ですが、東京で部屋を借りるのが一番遅かったのは丸ちゃんだったというのは確実。*1
デビュー5年後の2009年時点で当時の冠番組「Canジャニ」の中で、「タウンガイド」シリーズという企画があり、ここで丸ちゃんの東京での物件探しをしているのです。
(この企画、本来の物件探しよりも「ペーパードライバー丸山と鬼教官村上シリーズ」としてのほうが有名です。
免許取得から約1年、まったく運転していないペーパードライバーの丸ちゃんに運転させて物件を見に行くという趣旨なのですが、とにかくポンコツの丸ちゃんに、村上くんがまるで自動車教習所の鬼教官のごとく、隣からワーワー言うのですが、これが面白いのなんの。
客観的に見てもビビリすぎてテンパリ続ける丸ちゃんの運転はとても怖いのですが、村上くんが隣で突っ込んだり怒ったり怒鳴ったり笑ったり励ましたり応援したり頭を叩いたり褒めたりけなしたりするもんで、ちょっとケンカみたいになっていくという。ほとんどコントです)
丸ちゃんは、2009年時点でまだ部屋探しをしていた、つまりまだ東京に部屋を借りていなかったわけで、当時は東京での仕事があるたびに丸ちゃんはホテル暮らしが続き。
ろくに友達もいない東京で、自分一人ホテル暮らしの日々を過ごすうち、丸ちゃんはまたふさぎがちに。
それを見かねたすばるくんが、
「丸がおかしいからなんとかしてやって。面倒見てやって」
と村上くんに頼み、村上くんがまた丸ちゃんを部屋に呼び、またまた丸ちゃんの村上宅居候生活が始まったのです。その後、丸ちゃんが無事東京に部屋を借りる日まで、その居候生活は続いたようです。
のちに、丸ちゃんは村上くんのことをこんなふうに語っています。
「信ちゃんは、10代の、人に対してどうやって接したらいいかわからなくて閉ざされていた俺の心を、こじ開けてくれた最初の人やね。今思えば、かなり無理矢理な感じやったけど(笑)」
「あの頃は俺、信ちゃんに対して、うっとうしいお兄ちゃんみたいなイメージがあったけど、今は、父親とか母親みたいな感じがするな。」
実生活では長男で、兄のいない丸ちゃんの、初めてできたお兄ちゃんが村上くんだったと。でももう、それを通り越して父親か母親みたいだって。
人前では明るくて楽しくて人を笑わせるのが大好きな反面、実はコンプレックスの塊で、内省的で、殻に閉じこもりがちで、なかなか本心を見せない頑なな丸ちゃんの心の重い扉を、村上くんは、がさつに思えるぐらい真正面から率直にポジティブに全力で壊してしまった。
こんなことしてくれる人、そうそういないですよね。
できる人自体が少ないし、やってあげようとする人も少ない。
みんなそれぞれに優しいけど、村上くんの優しさには、強引なほどの有無を言わせないパワーがある。
丸ちゃんが一番世話になって一番感謝してる相手が村上くんであることは言うまでもありません。
一方で、こっそり甘える相手も村上くんらしく、こんなエピソードがあります。
丸ちゃんはイライラしても基本的に人に当たるタイプではなく、自分に当たるタイプなのだけど、村上くんにだけは多少八つ当たりするようなんです。
ダンスの振り付けを覚えるのがとても苦手でとても遅いのだけど、みんなでレッスンしている時は、半泣きになりながらも一生懸命ついていく丸ちゃん。
それが、村上くんと二人のユニット曲のダンスの練習の時だけは違いました。
振り付けがどうしても覚えられず、イライラが最高潮に達した丸ちゃんは、
「あー、もうできひん! もう無理! 帰る!」
といって本当に突然プイッと帰ってしまったらしいのです。
他の誰にもそんな姿を見せたことがないらしく、これを聞いたメンバーはびっくり仰天。
気ぃつかいな上に気が弱く、なかなか言いたいことも言えない丸ちゃんが、村上くんにだけは八つ当たりできる。
村上くんのことをメンバーとか先輩とか仲間としてとか以上に、お兄ちゃんか、父親か、母親だと思ってるから、そんなことをしちゃうんですね。
どれだけ丸ちゃんが村上くんを慕っているか、よくわかります。
近年は村上くんが忙しくなりすぎてなかなか時間が取れなくなったようですが、かつては二人でよくあちこちに旅行したとか。
今でも二人でご飯を食べた話を時々聞けます。
先輩後輩コンビで丸ちゃんの相手となると、これはもう村上くんしかいない、と。
私は思ってます。
*1:※後記 丸ちゃんが東京に部屋を借りたのは、2010年だったそうです