僕たちと一緒に笑いある日々を

関ジャニ∞クロニクルで∞沼にハマったお笑いファン兼エイターのブログです。∞全員好き、特にヤスと丸ちゃんが好きです。※ブログ名は8UPPERSのWINK KILLERの罰ゲームでヤスがヨコに読んだ手紙の一節から取りました。このブログでは主に昔の∞のエピソードを拾ってきて改めてまとめてみたいと思っています

すばるくんが脱退することをすばるくんの側から考えてみた 2

関ジャニ∞ファンになってから、さかのぼっていろんなことを調べました。

ファンになった当初、関ジャニ∞ってちょっと珍しいぐらい仲良いよなあ、それもプロとしてアイドルビジネスとしてっていう以前に単純に仲良いよなあ、ちょっと異常なぐらいだよなあと見るたびに思っていたけれど、関ジャニ∞結成での歴史を追っていくと、なるほどと思うことが多くて。

 

そもそも、ジャニーズのグループで、こんなに同期同士が固まってデビューさせてもらえること自体が異例なようで。

ヨコヒナすばるが同期で、その1年後輩が下の4人で。

(丸ちゃんはホントはすばると一緒のオーディションに受かっているらしいのですが、実際活動を始めたのが2回めのオーディションを受けた以降なので、まあ、誰がどう見ても丸ちゃんも年下組との同期だと思います)

ヨコヒナすばるはこれに加えて同級生、さらにヒナとすばるの実家は自転車で遊びに行けるほど近い距離で。

 

入所当時は横山くんが関西ジュニア筆頭として抜擢されて東京で仕事をしており、ひまなヒナとすばるはしょっちゅう一緒に遊んでて、ヒナがすばるの家に泊まり込んでちっとも帰ってこないもんだから、ヒナのお母さんからすばるの家に電話がかかってきて、

「そろそろうちの子返して!」

とよく怒られたと、すばる母の妙子さんが語っていらっしゃいます。

 

年下組は年下組で、1年遅いオーディションで入った同期です。

この頃、関西ジュニアとして抜擢されるようになったのは、横山くんに加えてすばるくんと村上くん。この3人が「関西ジュニア」として一括りで東京で仕事するようになります。

年下組では、当時とてつもなく小さくてとてつもなく可愛かった上に天使のハイトーンボイスで歌もうまかった亮ちゃんが早くに抜擢され東京へよばれ。

成長が著しく遅く小学生にしか見えないぐらい小さな亮ちゃんの手を引いて、3人のお兄ちゃんたちが新幹線での移動を繰り返すように。

三馬鹿と亮ちゃん4人セットでの東京仕事が多くなりました。

 

当時の亮ちゃんがホントに天使みたいに可愛かったせいか、天使みたいに可愛いくせに口を開けばとんでもない悪ガキだったのが彼らの気に入ったのか、このクソ生意気な天使がいったんなつくとものすごい勢いでなついてきていじらしかったからなのか、きっともう彼ら自身も覚えてないような経緯で、彼らは多くの一緒の時間を過ごすように。

 

大阪残留組のヤス、丸ちゃん、大倉くんの同期エピもまた微笑ましいものがいくつもあるのだけど、話がズレるので、また別のエントリーで。

 

なんだかんだ彼らは、関ジャニ∞結成前から友達だったわけです。

同期で同級生の三馬鹿、1期下の4人の後輩たち、その中で唯一三馬鹿と仕事を一緒にしていた亮ちゃん。

上の3人がもともと友達で、下の4人ももともと友達で、その中の一人は上3人とずっと一緒で弟みたいに世話してもらって。

一人だけ後輩だった内くんが脱退したせいではあるんですが、結果的には関ジャニ∞は同期の三馬鹿と、1期下でこれまた同期の4人が組んだ、とても珍しいもともと友達同士のグループだったわけです。

 

仕事の少ない大阪で、東京Jrに負けるもんかと思いながら、大勢いた仲間の関西ジュニアが次々と辞めていった中、残った最後の同期たちで結成した関ジャニ∞

そりゃ仲が良いのも頷けます。家族みたいと言われるのも頷けます。

彼らの周りには、もう彼らしか残ってなかったんですから。

 

病んで仕事を断り引きこもり暗中模索していた当時のすばるくんが、いっそ事務所を辞めて自分に向いているバンド活動をすることよりも、到底自分には向いていないアイドルを続けることを選んだ理由は、そこにヨコヒナがいたから。そこに関西Jrの仲間の後輩たちがいたから。

だと思うよ、だってそれ以外に理由がないもん。

 

関ジャニ8結成後もいろいろありました。(もともとは関ジャニ8、CDデビュー時に関ジャニ∞と名前が一部変更されました)

内くんと亮ちゃんのグループかけもち、その後内くんの活動自粛、脱退。

世間的に見ると、これが圧倒的に関ジャニ∞として危ない時期に見えるけれど、当時のファンから見てやばかったのは、むしろ2008年のすばるくんのバンド活動のほうだったらしいです。

 

関ジャニ∞デビュー前の東京での仲間であるJr内バンドユニットのFIVEとのライブツアー。

かけもちさせるのが好きなジャニーさんは、このFIVEとすばるとのユニットであるFLAT FIVE FLOWERSをデビューさせる企画もあったようです。

この企画が動いていたら、もしかしたら関ジャニ∞は、もっとずっと昔の段階で渋谷すばるを失っていたかもしれません。

デビューグループのかけもちなんて到底無理なんです。

片方のグループ愛を語るだけで、片方のグループのファンが嘆き悲しむのです。

そんな不健全なことやらしちゃダメですよジャニーさん、マジで。

 

幸いにも・・・というと、当時のFIVEのファン、FLAT FIVE FLOWERSのファンには申し訳ないけれど、この企画は頓挫して、すばるは関ジャニ∞に戻ってきました。

戻ってきました、っていうか別にいなくなってはいないけど、少なくとも大倉くんがすばるがいなくなるかもしれないと不安を持っていたのが解消されました。

一方で、これが2015年のすばるのソロデビューにつながっていくわけです。